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2016年4月10日礼拝メッセージ
ルカ24:13~35
要旨
朝ドラ「あさが来た」が終わり、余韻が残る。
イースターを祝い、その余韻を深化させながらペンテコステに向かう。 「あさが来た 広岡浅子と満喜子とヴォーリズ」という本を出版して、「びっくりポン」な福音を伝えようとしている。
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さて、今朝の聖書箇所でびっくりポン!するのは、1)神がなさった復活の事実2)しかし、人間が疑うしぶとさ3)それにもかかわらず懇切に導き教えて下さる神さまに対してなのである。
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イエスが死んで“解散”になった信仰共同体を離れてエマオに向かっていた2人。しかし、この日の早朝から共同体には、イエス様がよみがえったことを知らされたという体験情報がもたらされていた。
その情報について論じ合いながら歩く2人。そこに未知の人が歩みを共にし、キリストがよみがえることは聖書に預言されていたと解き明かしてくれる。それがイエス様ご自身だと分かった時、「心燃やされた」彼らは危険な長い夜道もいとわず仲間のいるところにとって返す。そこにはすでに仲間が「集められ」ていた。
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同様の経験談を分かち合っていると、そこに主ご自身が立たれた。その時彼らは怖がったのである! 生身のイエス様にそのように触れた弟子達ですらそうなのだ。まして我々をや! それでもイエス様はあくまでも懇切丁寧に、ご自分の肉体の復活を証明された。