報復が放棄された日――遠回りだが王道の救い(10月9日礼拝メッセージ)


ルカによる福音書4章16~30節

要 旨

 この箇所は、ルカにとってはマタイの「山上の垂訓」記事にも匹敵する大事な箇所。ルカ福音書全体の要約版であり綱領である。
 それを言うのは、「宣教のパラダイム転換」(新教出版社。10か国語以上に翻訳されている重要で確かな著)を執筆したデイヴィッド・ボッシュである。
 ボッシュによれば、この箇所でイエスがイザヤ61:1~2を朗読したとき、「私たちの神が報復する日……」の句を敢えて読まなかった(イザヤのギリシャ語訳と参照させるとそのことは明確に分かる)。
 このことが、生まれ故郷ナザレの人々の疑念や怒りを引き起こし、そこから起こった口論は人々を激昂させて、イエスを共同体から追い出し、殺そうとするところまで行かせてしまった。
 なぜなら、当時ユダヤ人らは、500年にも及ぶ異邦人支配、特に“現在”のローマ帝国支配に苦しめられ、正に異邦人への報復の時、革命!を切望していたからである。ナザレのあるガリラヤ地方はことに民族意識の高い、“熱い”地域であった。
 しかしイエスは、いわば「報復という手段では、最早ないのだ」というメッセージを強力に発した。
 イエス・キリストご自身が十字架の購いによって成し遂げる救いこそが、人々の心の奥底から、世界を変えるものだからだ。
 ボッシュは最新の聖書学の成果からこのことを言うわけだが、彼自身、アパルトヘイトに否を言い続けて所属教団から干され、孤独で危険であり続けても生涯、南アフリカ共和国、また教団から離れない行き方を貫き、アパルトヘイト撤廃の翌年、交通事故で死んだ。

October-2-2013
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 ある中学校の卒業生たちが、卒業から30数年経って、初めて同窓会を開きました。
 その時に、出席し「なかった」2種類の人たちがいました。
 その中学は30数年前のその頃、校内暴力といじめで荒れ狂っていたのですね。 当時、ひどくいじめられた人たちは出席しませんでした。
 そして、ひどくいじめた側、暴力を振るった側の人たちも、出席しませんでした。
 たった3年ほどの間の、しかも30年以上前の出来事であっても、暴力ですとかいじめですとか、抑圧の経験は、人の心に重い傷やわだかまりを残してしまうことを思わされます。
 これが、もっと長い歴史の間であったり、また現在進行中の、民族や国家の間で起こっているような暴力であり紛争問題であるならば、どんなにか人の心に悪い影響を与えてしまうことかと思います。

 さて、今朝は「報復が放棄された日」と題してお話しさせて頂きます。
 お読み頂いたなかに「報復」という言葉は出て来ません。また報復や復讐を伺わせるようなものも出てきません。
 と言いますよりもむしろ、本来「報復」という言葉が出るはずのところにそれが出なかった。それが大変な波紋を呼んだという出来事と、その意味するところを表しているということなのです。

 本来「報復」という言葉が出て来るはずだったのに出てこなかったというのは、先ほどお読み頂いたなかの、18節からの部分です。
 このルカ4章は著者のルカが、イエス様の公のお働きの一番最初、出発点を描いている場面なのですが、
 イエス様は生まれ故郷のナザレの会堂でお話しになり、その時に、トーラー(旧約聖書)の巻物を開いてお読みになりました。その場面です。

 16節からお読みします(22節まで)。
 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」
 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」

 
 ここで、「預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると次のように書いてある個所が目に留まった」とありますのはイザヤ書61章1~2節を“朗読”なさったのです。
 そして、「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたとき実現した」とおっしゃり、
 イザヤ書に記されている約束は正に、いま語っているイエス様ご自身において成就したと宣言されたのです。

 どんな約束か見てみましょう。素晴らしい内容です。
 ルカ4:18に、

 主がわたしに油を注がれたからである。

 と記されています。

 ここで「油を注ぐ」と訳されている語は、イザヤ書が元々書かれた言葉、ヘブル語では「マーシャh」と言いまして、それを展開させれば「マーシアハ」という言葉になります。
 「マーシアハ」。どこかで聞いたことがあるなぁと思いましたらそれは、「メシア」ということで、メシアは日本語で救い主と訳されていますが、その元の意味は「油を注がれた者」ということなのです。
(省略可)
 新約聖書のルカによる福音書は、元の言葉はギリシア語ですが、「油を注ぐ」の部分については「クリオー」という言葉が使われています。そして、こちらから派生した言葉が「クリストス」です。
 「クリストス」すなわち、「キリスト」で、日本語に訳せば救い主です。ギリシャ語の方でも救い主は「油を注がれた者」ということなのです。
(省略以上)
(上の代替)
 そのギリシャ語訳であるクリストス、すなわちキリストについても同じことが言えます。
(代替以上)
 旧約聖書を見ますと、祭司ですとか王、また預言者といった、神からの特別な働きをする人を任職しますのに、油を注いだことが記されています。(出エジプト28:41:祭司の任職,Ⅰ列王19:16:王の任職)

 そこからユダヤ人たちは、まだ来ていないけれどもやがてやってくる、神からの救いの実現をもたらす人物、救い主を、「メシア」「キリスト」すなわち油注がれた者として待ち望むようになりました。
 そんな、「主が油を注いだ」(ルカ4:18)救い主はイエス様ご自身のことなのだと、イエス様はこの箇所で宣言なさっているのです。

 また、この箇所の直前のルカ3:21~22で、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受け、聖霊が鳩のように降って来られたことが記されています。
 その時に、父なる神様ご自身から直々に、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という正式な承認をお受けになったのです。
 旧約の時代にずっと、「油」「油を注ぐ」という言い方で言われてきたのは、その正体というか本体は、聖霊が注がれることを指していたのであり、

 イエス様は、ご自分の上に聖霊が降(くだ)られたという点においても、どんぴしゃり、油を注がれた者、メシア、キリストなるお方なのです。

 そのメシア、救い主は、何をしてくれるのでしょうか? 18節の続きに、

 「貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれた

と記されています。続けて、

 主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。」

 と、イザヤ書の巻物を開いて“朗読”なさったことが記されています。

 さていよいよ本題に入っていきますが、その朗読と、そこからのイエス様のお話に対する、聴衆の反応はたいへん不可解なものだったのです。

 20節から読みます。

 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。
「この人はヨセフの子ではないか。」

 イエス様は、イザヤ書の巻物を巻いて、係の者に手渡す。生まれ育った村の会堂です。幼いときから知っている村の人たちや友人たちの目が、じっとイエスに注がれています。
 イエスは、説教者だけが座る特別な席にゆっくりと腰をおろし、皆と向かい合うかたちで話し始めます――。
 非常に、臨場感にあふれる、情景が目に浮かぶような描写です。

 イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」といって、話し始めたのです。

 それに対する人々の反応は、

 「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた」。
 というものであった。みんなイエス様を誉め、たいへんに高い評価を与えたのです。

 しかし、不可解なのはその続きです。

 「この人はヨセフの子ではないか。」(23節後半)

 えらい誉めたなと思ったら、すぐにけなしたということです。「こいつただのヨセフの息子やないか! 大工の子供やないか」と言って非常にディすった、けなしたということなのです。

(省略可)
 いまの流行語で「ツンデレ」というのがありますが、この場合はデレツンでしょうか(^o^)。
 ナザレ村の人々のあまりにデレツンな態度は、もうわけが分からない不可解なものです。
(省略以上)

 しかも先を読み進めますと、
 イエスと聴衆はどうも口論になった模様で、聴衆は非常に怒り狂い、もう激昂しまして、最後にはイエス様を町の外れまで追いやって、町が建っている丘の上から突き落とそうとまでした(28節)。
 しかし、イエス様は村人の間をすり抜けて去ってしまわれた。そのようなストーリー展開です。

 ナザレの聴衆の不可解な変化。
 しかもそれが、殺そうという怒りにまで発展したのは何故なのか。
 それは、なかなか「説明のできない」もので、一般の読者や聖書学者を困惑させてきたものだといいます。

 これは、プロの聖書学者を困惑させる箇所なのだ、と指摘しているのは、新約聖書学者であり宣教学者であるデイヴィッド・ボッシュという人物です。

 デイヴィッド・ボッシュというのは、この「宣教のパラダイム転換」という本を書かれた方(実物を見せる)で、この本のなかで、この不可解な事件について言っておられるのですね。
 「宣教のパラダイム転換」は、1991年に出版され、日本語版は2001年に新教出版社から出されています。世界10か国語以上(フランス、中国、インドネシア、ロシア、日本は2001年時点で既刊、イタリア、スペイン、ポルトガル、韓国、ハンガリー、チェコ語は準備中)に翻訳された、世界のキリスト教にとって、戦略を考えるのに非常に大事な本となっています。

 パラダイムというのは、その時代その時代に支配的な物の考え方、認識の枠組みのことで、
 ボッシュは時代を追って、初代教会、東方教会、中世ローマカトリック教会、宗教改革・プロテスタントの時代、近代・啓蒙主義の時代、そして現代のポストモダンの時代の宣教におけるパラダイムを描いていきます。
 パラダイムは多くの場合、その時代に生きる人々にとっては、そのなかにとっぷりと漬かって暮らしているので、どんなものなのか気がつきません。
 しかし、その時代の常識といいますか、知らず知らずにそのようにやっている枠組みがパラダイムなわけです。
(省略)
 そして、時代が大きく行き詰まってくると、パラダイムの転換、元の英語ではtransformが行われる。
 transformっていうのは、仮面ライダーが「変身!」とやった時に、全く違うものになってしまう、そういう質的な変化ですね。
 そういう、時代におけるキリスト教宣教のあり方の枠組み、パラダイムの転換、変身!が、
 多くの場合は人々が気がつかないうちに進んできたし、今も進んでいるのだ、ということを、世界大の大きな視点で、学術的にきちんと検証して描き、教派を超えて、またカトリックや東方教会においても評価されているたいへんな学術書です。
(ここまで省略)

 そのなかでボッシュは、初代教会の出発点における宣教のあり方を描くに当たって、
 マタイ、ルカ、パウロの、それぞれにおける宣教のパラダイムを、彼らが執筆した聖書本文から読み解いています。

 ルカによる福音書は、異邦人クリスチャンであるルカが、紀元80年頃に、異邦人への伝道がどんどん進んだ状況のなかで記したものである、という立場で私はこの春からずっとお話しさせて頂いていますが、
 それは、ボッシュさんの説に依拠しております。

 さてその「宣教のパラダイム転換」の、ルカ・使徒言行録の章のなかでボッシュは、
 先ほどから申し上げてきたルカの福音書4章の、ナザレの聴衆の急な態度変更、デレツン問題を、
 聖書を読む歴史を踏まえて、「不可解な箇所」と指摘しているわけです。

 それと同時に、ここはルカの福音書・使徒言行録において、非常に大切な、キーになる箇所だというのが、近年の聖書学の成果を踏まえての、ボッシュさんの結論なのです。
 ボッシュの表現をそのまま借りれば、この箇所は、
 イエス様の公生涯、公の働きをなさって行かれる部分全体の「序文」であり、
 それだけではなく、ルカの福音書全体の要約版、あるいは綱領――中心点や基本方針を記したものということですね――であるとさえ言います。
 マタイの福音書では「山上の垂訓」(山上の説教)が超重要な箇所なのですが、ルカにおいて、それに匹敵する個所だ、というのがボッシュの見解なのです。
 その線に沿って、お分かちしたいと思います。

 ナザレの人々は、イエス様がイザヤ書を開いて説教したことについて、
 最初は熱狂的なばかりに誉めたのに、すぐにけなし、最後には怒り狂ってイエスを殺そうとさえした。

 ブッシュは、これはここに「記されて」いないけれども、何らかのやり取りがイエス様と聴衆の間にあって、それが人々の当惑や疑念や怒りを引き起こしたのだ、と指摘します。私も丁寧にテキストを読んでみて、その説明は納得ができます。

 そのやり取りの内容が何であったか・・・。それがとても重要な事柄で、 そういう事柄が含まれている、ルカ福音書全体の中心・綱領であり要約版だというわけです。

 その内容を洞察するヒントはズバリ、
 イエスが開いて朗読した際に「読まれなかった」部分にあります。

 私の今朝のメッセージの最初の方に、
 <「報復」という言葉は出て来ません。また報復や復讐ということを伺わせるようなものは出てきません。と言いますよりもむしろ、本来「報復」が出てくるはずのところでそれが出てこなかった>
 と申し上げました。
 ようやくそこに戻ってきました。

 それでは元のイザヤ書を開いてみましょう、
 イザヤ61:1~2です。

 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
 主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め

 イザヤの方はヘブル語から、ルカの方はギリシャ語から直接日本語に翻訳してあるので、日本語の文面は食い違っているのですが、
 イザヤ書のどの部分をイエス様が「読まなかった」かといいますと、2節の後半部分です。

 わたしたちの神が報復される日を告知して

 以降の部分をあえてお読みにならなかったのです。
 これは旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳、セプチュアギンタ)が、イエス様や初代教会の時代にはもう広く行き渡っておりまして、その文面と、ルカのそれを私も照らし合わせて確認してみましたが全くそういうことでした。

 ここに「報復」、あるいは「復讐」と訳している(新改訳)日本語聖書もありますが、この部分をイエス様はお読みにならなかった。
 そのこと自体が、大きな議論を引き起こし、ナザレの人々の態度急変につながったわけなのです。

 「わたしたちの神が報復される日」というのは実は、
 ヘブル語の文章表現としては、その前の「主が恵みをお与えになる年」と対句になっておりまして、その片方しか言わないのはとっても不自然なことなのです。
  喩えて言えば松尾芭蕉の「奥の細道」で、
 「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」
 と言うべきところ、「月日は百代の過客にして」というところで読むのをとめてしまったようなものです。
 朗読を聞いた人々にしたら、「え? なんで前半しか読まへんの? おかしいやろ」ということに必ずなるのです。

 しかも、悪いことに、そのイエスの読まなかった「わたしたちの神が報復される」というフレーズこそ、
 ナザレの人々みんなが、同郷人であり、期待の星であるイエスの口から「聞きたかった」言葉です。

 それはどういうことかと言いますと、
 ユダヤ人たちは当時、熱烈に報復、復讐を待ち望んでいました。
 それは何に対してかと言えば、自分たちを圧迫し支配してきた異邦人たち、そしてそれは今は、強大なローマ帝国です。

 これまでのお話しのなかで、ルカ2:41から、「この目で救いを見た」と題して、赤ん坊のイエス様の神殿参りのお話しをしましたときなどに触れましたように、
 ユダヤ人の国は、紀元前数百年までは独立し、たいへん栄えておりました。
 ところが、北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国もバビロニアに滅ぼされて、ユダヤ人たちは捕囚として各地に移住させられました。民族の誇りであった壮麗なソロモンの神殿も破壊されます。

 その後、ペルシャが覇者となり、ユダヤ人たちは全員ではありませんが、ペルシャ王の許しのもとでエルサレムに帰り、神殿を再建したのは神殿破壊から70年経った紀元前520年頃です。
 それはソロモンの神殿と比べものにならない、貧相なものでしたし、また、その後の歴史においてユダヤの国が独立することはなかったのです。

 その後、もっと強大な支配者として登場したのがローマ帝国です。ユダヤ人たちはローマ帝国による支配以前から何度も抵抗を試み反乱を起こしましたが、ローマ帝国はあまりに強大です。
 重税を取り立てられ、労役に駆り立てられ、民族のプライドはこなごなにされている。神聖であるべき、また、精神的な中心地であるはずの神殿でさえ、憎きヘロデ大王の力で立派になったのであり、そこには醜い権力闘争があり利権構造があり、それを庶民はみんな知っている。

 そういう状態からの解放を成し遂げさせてくれる、すなわち、ローマ帝国の桎梏からユダヤ人を解放して下さるお方こそ、
 当時のユダヤ人たちが待ち望んだメシア、「油注がれた者」なのでありまして、そういうお方を待ち望む空気が、ガソリンの充満した部屋のようにひしひしと充ち満ちており、
 そして、ナザレのありますガリラヤ地方は特に、そういう民族主義と言いますか非常に血の気が多いと言いますか、最高に熱い土地柄だったのです。

 自分たちと同郷人で、周辺地域ではだんだんと評判が知れ渡るようになってきた期待の星であるイエスが、まさにそのメシアであって欲しい、立ち上がって欲しいと思うのは当然すぎるほど当然のことですし、
 それだけに、自分たちをひどい目に遭わせているローマへの「報復」を、イエスがあえてそぎ落としてしまったことは、たいへん衝撃的な、あってはならない出来事であったのです。
 これを記すルカは異邦人です。読者は、イエス様を信じるようになったユダヤ人と異邦人の両方です。

 非常にナイーブな場面です。当時の読者はここを読めば、「報復」をイエスが「無くして」しまったことの大変さがさっと察せられたのだと思います。

 実はここに到るまでの2章、3章でルカは、ユダヤ人たちの民族意識に充ち満ちた、彼らなりのメシア待望の心情を上手に描いていますし、当時の読者にはそのことが非常に良く分かったとボッシュは解説してくれています。私も、なるほど、そうなのだろうなぁと思います。

 その中で、バン!と発せられたイエス様の宣言。
 報復はもう「ない」のだ。復讐ではないのだ。

 そうではなく、ユダヤ人にも異邦人にも全ての人々のために真の救いがやってくるのだ。
 その衝撃は、ナザレの人々を激昂させて、群集心理のなかでイエスを、ナザレの町の建つ丘から突き落とそうとするほどまでになる。
 まさに、ルカによる福音書が、イエス様が十字架にかけられて殺されることを描いていく全体のストーリーと、その深く意味するところを、ボッシュが言うようにぎゅっと濃縮させて描いているわけなのです。

 父なる神が、真のメシアであるイエスをこの世に遣わされたのは、
 ルカ4:18~19にありますように、

 罪に、
 捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるため

 であります。また、18章冒頭の、

 貧しい人に福音を告げ知らせる。(18節冒頭)

 これは単に、精神的な側面だけではなく、きわめて実際的な、経済的・社会的な事柄をルカは、福音書全体を通して言っているとボッシュは言います。
 人の心が、その根底から救われ変えられることは、心を変えられた人々の具体的な生きざまをも変革し、社会的な貧困や抑圧の問題から目を背けない者に変えていく。それがボッシュによるルカの読みです。

 あまりに理想論に過ぎるでしょうか?

 今回触れましたボッシュ自身がどんな人だったかをお話ししまして結びにしたいと思います。
 ボッシュは、黒人が差別され、まだアパルトヘイトが撤廃されていない南アフリカ共和国で生まれました。黒人たちの言語を習い、その地域で宣教師として働き、そして聖書を読み、その中で神学をし、「宣教のパラダイム転換」を執筆しました。
 アパルトヘイトを容認する所属教団のなかで、聖書に基づいてそれに反対し続け、教団内の諸教会から、講師として招かれることすらありませんでした。
 優秀な学者ですから、アメリカに来て研究しませんかと招かれましたが、あえて南アフリカに留まり続けました。
 アパルトヘイト政策は1991年に終わりを告げました。そのために、キリスト教、教会の内部にあって発言し、影響を与え続けた一人がデイヴィッド・ボッシュなのです。

 ボッシュは1992年、交通事故で亡くなりました。

 イエス・キリストの十字架の故に、報復を終わらせる行き方に私たちも習いたいものです。
 祈りましょう。