報復が放棄された日――遠回りだが王道の救い(10月9日礼拝メッセージ)


報復が放棄された日――遠回りだが王道の救いく難読箇所(10月9日礼拝)

要旨◆
 この箇所は、ルカにとってはマタイの「山上の垂訓」記事にも匹敵する大事な箇所。ルカ福音書全体の要約版であり綱領である。
 それを言うのは、「宣教のパラダイム転換」(新教出版社。10か国語以上に翻訳されている重要で確かな著)を執筆したデイヴィッド・ボッシュである。
 ボッシュによれば、この箇所でイエスがイザヤ61:1~2を朗読したとき、「私たちの神が報復する日……」の句を敢えて読まなかった(イザヤのギリシャ語訳と参照させるとそのことは明確に分かる)。
 このことが、生まれ故郷ナザレの人々の疑念や怒りを引き起こし、そこから起こった口論は人々を激昂させて、イエスを共同体から追い出し、殺そうとするところまで行かせてしまった。
 なぜなら、当時ユダヤ人らは、500年にも及ぶ異邦人支配、特に“現在”のローマ帝国支配に苦しめられ、正に異邦人への報復の時、革命!を切望していたからである。ナザレのあるガリラヤ地方はことに民族意識の高い、“熱い”地域であった。
 しかしイエスは、いわば「報復という手段では、最早ないのだ」というメッセージを強力に発した。
 イエス・キリストご自身が十字架の購いによって成し遂げる救いこそが、人々の心の奥底から、世界を変えるものだからだ。
 ボッシュは最新の聖書学の成果からこのことを言うわけだが、彼自身、アパルトヘイトに否を言い続けて所属教団から干され、孤独で危険であり続けても生涯、南アフリカ共和国、また教団から離れない行き方を貫き、アパルトヘイト撤廃の翌年、交通事故で死んだ。

October-2-2013
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