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(34分、はじめに歌あり)
救い主を見つける喜び――4000年の時空を超えて(12月11日礼拝メッセージ)
ルカによる福音書1章46節~56節
マタイによる福音書2章1節~10節
◆ 要 旨
私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜び讃えます。このマリアの秘訣に習って、クリスマスへ向けて備えたいものです。
魂というのは、私たちの全ての理性の働き。その全てをもって、神様のしてくださった全ての良いことを思い巡らし、感謝するのだというマリアの心意気があるわけです。
その時に私の霊も、救い主なる神を喜び称えることになっている ことを発見するのです。
マリアは、感謝の理由を続けます。それは神様が、低くなっている者に、特別に目を止めて下さるからです。
自分が偉くなって、神に命令するのではない。主の御心を伺って、 主の喜ばれることをしたいという心。そういう謙遜さにこそ、手は目をとめてくださる。
50節に主は御力を振るい、思い上がる者を散らされるとあります。心中考えていることが尊大で、横柄で、神様なんているものか、いてもどうってことあるもんか、と思い上がっている者は、
どんなに頭が良くても、やることが支離滅裂になるわけです。神様は、 権力や力を笠に着るような者の味方ではありません。
それらのことを述べてマリアは、その根拠として、 イスラエルの歴史の事実をあげます。世界の民族の祝福の基になると言う、最初の約束に従って歩んでる時、 イスラエルは祝福を受けます。
自己中心に生きる時、裁かれます。
その姿を、近隣諸国の人々はじっと見ていた。そして、イスラエル人の信じてる神は恐るべき神だと思っている。
そういう人々の一人が、東方からやってきた博士たちです。
彼らはイスラエル人と、宗教も文化も何もかも違う。
そういう人々を惹きつけるものが、まことの神を信じ、従う歩みの中にあるのです。
そのことは、クリスマスから2000年を経た日本に生きる私たちも、体験するところではないでしょうか?