クリスマスおめでとう――全世界への羊飼いとして(12月25日礼拝メッセージ)

クリスマスおめでとう――全世界への羊飼いとして(12月25日礼拝メッセージ)

◆聖書箇所
ルカによる福音書2:1~20

クリスマス、おめでとうございます!

いまこの瞬間、世界中で、クリスマスおめでとうのあいさつが交わされていることを思います。
クリスマスは、世界で最もよく知られ、たくさんの人々に喜ばれている祝日であり、お祭りであることを思わされます。最も歴史の古い、伝統行事であるけれども、いつもわくわくさせられるお祭りであることも不思議な思いが致します。
そして私たちにとっては、救い主イエス・キリスト様のお誕生を記念する、大変大切な、喜ばしい日であります。
もう一度、もう少し大きな声で、クリスマスのご挨拶をご一緒致しましょう。

クリスマスおめでとうございます(会衆復唱する)。

img_7

さて、お読み頂いた飼い葉桶や、羊飼いたちの物語は、世界で最も有名な一つのストーリーでありましょう。これまで世界の至る所で、何千回も何万回も、2000年にわたって語り継がれてきた喜びの知らせであります。

今朝新たに、この喜びの出来事を味わいたいと思います。

ルカによる福音書2章第1節。
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

「そのころ」と申しますのは、救い主イエス様の前触れとなっていく人物、バプテスマのヨハネが先に生まれて、半年が過ぎた頃、ということです。
エルサレム神殿の聖所において、年老いた下級祭司が天使のお告げを受け、同じく年老いた妻がそのお告げ通り男の子を生んだ。その子は将来、たいへんな人物になる。そして、その子の名付けの儀式の時にこんな預言があった。
高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗やみと死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く(ルカ1:78)
そういう時代がようやく実現するのだ、という預言であった、というニュースが、
エルサレム近辺のみならずユダヤ、サマリヤ、ガリラヤ地方の津々浦々に暮らすユダヤ人や、ローマ帝国内各地に居留の民として暮らすユダヤ人共同体にまでひとしきり広がって知れ渡ったころ、と想像できます。

折しも、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスからローマの全領土にわたって勅令が渙発せられたのです。
カイサル・アウグストゥス――。ルカの福音書にもギリシャ語で、しっかりその名が刻まれております。言わずと知れた、大ローマ帝国の初代皇帝です。さまざまな民族の暮らす地中海世界の全てをその支配下に治め、パクスロマーナ、ローマの平和と謳われた時代を築いた偉大な皇帝であります。

e491aa3a

さらに、「キリニウスがシリア州の総督であったとき」と、ルカは、年代を絞り込んでいます。ルカがこの福音書を記したのは、西暦60年過ぎ。そして、このクリスマスの出来事が起こったのは、その70年前の紀元前4年頃と推定されています。
聖書以外の、歴史的に信憑性ある文献、ヨセフスの「ユダヤ古代史」などを研究するところによると、キリニウスという名前の人物の登場する年代に少し食い違いがあるとか、この、ローマ全土の人口調査で、わざわざ先祖の出身地にまで移動して、そこで住民登録を行ったのはユダヤ民族だけではないかというようなことが言われているようであります。

しかし考えてみますと、皇帝カイサル・アウグストゥスの名前は、このクリスマスの出来事があった当時の時点において、誰も逆らうことなどできない、絶大なものであったことを思います。いわば、現在ならば、トランプ新大統領の名前を誰も知らぬ者はないようなもので、それ以上に、当時の「世界」においては絶対的な最高権力者。不可能なことなど何一つない、正に“神”のように人々が思う存在として畏れられていたわけです。
けれども、このルカの文書が「書かれた」当時において、その名はすでに「歴史上の人物」になっていたことを思います。我々にとってのブッシュ大統領、あるいはブルシチョフや佐藤栄作のようなものです。それらは過ぎ去ってしまって、何の生々しさはありません。
一方、今や、アウグストゥスの名前は知らなくても、イエスの名前やマリアの名前を知らない者はありません。
また、名前さえ残されていない野原の羊飼いたちのこと。彼らが、生まれたばかりの赤ん坊のイエス様を訪ねて、飼い葉桶に寝かされているその赤ん坊を拝んだのだという物語を、世界中の人々が知っているのであります。
神様がおこされることは、はじめは小さくても、大事なことならば必ず残って広がって行くことを思わされます。

さて、続きに行きたいと思います。4節。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

北部のナザレの町からずっと南のベツレヘムまで、直線距離にして100キロ少しの旅です。
ここ、明石市から、奈良や京都まで行けてしまう距離であります。
決して裕福でない2人、いやお腹の赤ちゃんを入れると3人は、マリアがロバに乗るくらいのことはしたでしょうが、どれだけ大変な旅だったことでしょうか。

images
そして6節。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

舞台のベツレヘムは、ヨセフとマリアの先祖たちの地であります。首都エルサレムからわずか10キロほど南西に行った所にある小さな町。

ルカの筆致は無駄がありません。

「イエス様は馬小屋で生まれた」とよく言われる所ですが、この聖書の中に、馬小屋とも家畜小屋とも記された言葉はありません。ただ、
「初めての子を産み、そして、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。なぜなら宿に彼らのための場所がなかったから」
と、シンプルに記されているだけです。
「布にくるむ」と訳されているのは、その辺にあった適当な布きれを無造作に巻いたということではありません。赤ちゃんの産着用の長い布を、丁寧に着せることを表す丁寧な言葉です。

ルカが福音書を書くに際して、もう年老いたマリアに若かったときの話をインタビューしていて、「それで、イエスを布にくるんで飼い葉桶に寝かせて上げたのよ」と言われ、思わず、「え? どうして飼い葉桶ですか?」と突っ込んだのではないでしょうか? 「それはもう、宿もいっぱいだったから」とマリアは少し笑いながら懐かしんで答えたように思えてなりません。
私がまだ小学校にも上がらない頃、母と弟と共に、父の田舎に年末、帰省した時のエピソードを想い出します。その年は、なぜか列車がとても混んでおりまして、客車に乗れなかったんでしょうね。それでどういうわけだか、貨車に乗せてもらったという記憶がうっすらとあるのです。貨車と言っても窓があり、乗務員さんが乗っていました。木の床で、ひよこをたくさん乗せていたという記憶があります。

ベツレヘムの町も、人口調査のための移動で、例年に比べて宿泊人口が多く、宿のキャパシティーが足りなくなったのでしょう。
提供してもらったその場所は、洞窟であるという説が強いそうです。なぜなら、その辺りは実際、洞窟が多い地形で、昔から活用されていたからです。実際、ここがお誕生の場所という降誕教会は正に、洞窟の上に建てられています。
これが現在の、教会の入り口の写真ですね。そして、これが、イエス様のお生まれになったといわれている場所の写真です。

ベツレヘム教会入り口001

img_2

洞窟は家畜小屋として使っていたかも知れませんし、動物はおらず、空き部屋や物置だったのかもかも知れません。しかしそこにたまたま飼い葉桶があったことだけは確かです。
木で作ったものであるのか石作りの物か、いずれにせよ本来は、牛や馬に食べさせる餌を入れる入れ物です。当時の住宅環境は、一般の人々は石でできた床に、羊毛で作ったマットを敷いて家族で寝るのです。
当然のことながら旅の空で出産間近い若夫婦のために、地元の助産婦も来てくれたことでしょうし、励ましてくれたり、暗くなればランプに火を灯し、いざ生まれたならば水で洗ったり塩をすり込んだりする手伝いをしてくれた人たちもいたはずです。
気候はそんなに寒いときではなかったようで、乾期で空気は爽やかでしょう。
そしてマリアは、準備しておいた産着に、赤ん坊を丁寧にくるみ、わらの布団を準備してくれた飼い葉桶に丁寧に寝かせました。
そして、静かに夜は更けていきます。

113115687-1024x768

20071213232539

さて、8節に進みましょう。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

いまや世界で最も有名な、無名の羊飼いたちの登場です。
これは、ベツレヘムの町を上空から撮った写真ですね。現在でも、この程度の規模の町です。北方面から鳥瞰したもので、写真の「左下(つまり北東方向ですね)の谷を隔てた台地に『牧者の野』がある」と説明がつけられています。

ベツレヘム鳥瞰002
インターネットで画像を捜しましたらこういう感じです。

palestinian-territories-bethlehem-shepherds-field

ベツレヘムの町は、ここから丘の上に仰ぐ形になります。
賛美歌で「荒野の果てに夕日は落ちて」と歌いますが、日が暮れてしまえば遠くに町の灯が見えるとは言え、真っ暗で、荒涼とした場所になることでしょう。
しかし、星はきれいだったのではないでしょうか。

羊たちを食べさせるために一日中、草や水のある所を歩き回るライフスタイルは、彼らの時代より更に1000年をさかのぼった時代にダビデが詩篇23編に、
主は羊飼い、私には何も欠けことがない。主は私を青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
と歌って以来、何ら変わっていないのです。
11節にベツレヘムのことが「ダビデの町」と記されているわけですが、この町でユダヤ民族の偉大な王であるダビデが生まれ育ったわけです。そして、ダビデ自らが羊飼いとして少年時代を過ごしました。

そして、更にさかのぼって、ユダヤ民族がモーセに率いられて出エジプトをすることになる前から、羊飼いということは彼らを特色づけるものでした。
アブラハムは羊を飼う者でした。イサク、ヤコブもそうだったのです。
大飢饉が起こって、ヨセフの導きによりエジプトの地に優遇されて住むことになった時(創世記47:4)、
「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません」

というヨセフに向かってファラオは、
「エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう。もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい」
といったのでした。
それから400年を経て、イスラエル民族が大集団となって、奴隷とされていたエジプトから出エジプトをする光景は正に、
羊飼いであるモーセに率いられた羊の大群さながらであったわけです。

旧約聖書には何度も何度も、人々を正しく導くリーダーを、羊飼いという喩えで言っているのです。

そのような民族の歴史と共に歩んだ羊飼いというものであるが、
ここに登場する羊飼いたちは、今やローマ帝国の属国となって、虐げられて、貧乏で、明日をも知れない身であるユダヤの庶民で、名前さえ知られていない人々なのであります。
ベツレヘムの町の方は、人口調査の影響とやらで騒がしくしているが、彼らにとっては関係なく、まあ何事も無い平穏な一日であったことでしょう。

とはいえ野宿です。狼やジャッカル、熊といった野獣や、蛇、さそり、そして強盗といった危険に絶えずさらされているわけで、一晩中、誰かが交代で起きて身を張って見張っているような過酷な仕事です。しかしその時は、静かに日が暮れて、焚き火をたいて、満点の星空を見ながら、チャイでも沸かして飲んで寛いでいたかも知れません。

2000年をさかのぼったあの出エジプトの際は、
主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた(出エジプト13:21)
と書かれていることは、イスラエル人に生まれたものなら知らない者はありません。

20150629_1679701
大昔には、神様は生きておられて、ダイナミックにイスラエルの民を導かれたものだ。今も、夜空の星は全く同じように輝いているが、何と時代は変わってしまったことだろうか。もうそんなことは起こる時代ではありません。ローマに支配され、隷属させられた現実があるだけです。ささやかな焚き火の炎がパチパチと燃えています。
するとその時、

主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた(9節)。
天使は単数形です。主の栄光が周りをてらした。サーチライトも、もちろん電気なんかない時代に、その周囲だけが明るく照らされたのでしょうか。彼らはびっくりしたことでしょう。その時は何が出現したのか、彼らは分からなかったに違いありません。彼らは非常に怖がったのです。

ルカは続けます。非常に簡潔な文章です。必要最小限のことだけを的確に述べて行きます。

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
「民全体」とはユダヤ人だけでない実は、異邦人を含む全ての民族ということを表す言葉が使われているのです。そして、「大きな喜びであろう」と未来形で書かれているのです。ルカが福音書にこれを書き、異邦人の読者たちが読んだ時、70年前に天使が羊飼いらにこの喜びに知らせを知らせたその通りになったのです。そして、さらに2000年が経って、今新たに私たちが日本語で、このメッセージを聴いているわけです。
続けましょう。

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

飼い葉桶に赤ちゃんが寝かされているなんて、考えてみると何でそんなことがする人がいるの、というような、普段ならあまり考えられないようなシチュエーションです。
しかし、それだけに人違いすることはあり得ないでしょう。間違いない印となり得るでしょう。
いろんなことを思い巡らさせられるのです。
もしもお生まれが10キロ先のエルサレムでのことであったなら、羊飼いたちはイエス様を捜し当てられなかったのではないでしょうか? それは、エルサレムの街はあまりに大都会だからです。それにもう門を閉ざして、羊飼いが羊をゾロゾロ連れて入って行くことなどできなかったことでしょう。
ベツレヘムの町は勝手知ったる町で、心当たりの場所を幾つか訪ね、洞窟から漏れる明かりを頼りにイエス様を捜し当てたに違いありません。

さて、結びに参りましょう。13節。

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
「天の大軍」。どんなものだったのでしょうか?
ベツレヘムの町からは見えなかったのでしょうか? また、天使たちの声は聞こえなかったのでしょうか?
シンプルだけど深いメッセージです。
栄光は高い所に、神様にのみあります。人にはありません。ローマ皇帝のようなところや荘厳なエルサレムの神殿にあるように見えても、それは本物の栄光ではありません。
では、私たちの住む地上には――?
そうです。地には、真の平和を下さいます。神様のみこころにかなうような人々の只中にです。

私たちは、自分の力で神に喜ばれる者になることはできません。
正に、お生まれ下さったイエス様が救い主として、その生涯の全てを費やして、また最後にはご自分のたった一つのいのちを私たちの身代わりとして、私たち人類の罪の赦しをなしとげて下さったのです。
そのことを感謝を以て信じ受け入れ、また、日々生きる中で、私たちが悩み苦しみに直面しても、イエス様の名によって祈り、神様の導きを受けて、主のみこころが分かるようになっていくのです。
そういう生き方に、真の平安があるのです。

それが、全ての民族に連なる世界中の、あらゆる国々の人々に約束された知らせです。

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

そしてそれらは本当に、全ての民に知らされるべき喜びの知らせだから、ルカによって記録されたし、今年も私たちに再び告げ知らせられたのです。
世界中の人々が救い主として仰ぐイエス様を私たちも、心からお喜びするものです。