新しい葡萄酒は新しい革袋に

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新しい葡萄酒は新しい革袋に
(5月28日礼拝メッセージ)

聖書箇所 ルカによる福音書5:33~39

要 旨

 ファリサイ人らが断食したのは、自分たちの熱心さによって神を動かし、イスラエルが復興することを願ってだった。だから、その願いがかなえられないと感じた場合、「断食しない連中のせいだ」と怒りの感情を抱いた。そもそも律法で断食の規定があるのは旧約聖書に1箇所(レビ16:29)のみ。断食は自発的なものはずとイエス様はお考えだった。
 「なぜあなたの弟子は断食しないのか」と問われイエス様は、「花婿が一緒にいる宴席では断食などしない」と答えられた。その答えには背景がある。
 旧約にはしばしば、神とイスラエルの関係を、花婿と花嫁に喩えている(ホセ2:18、イザ62.5等)。それは出エジプトの際のシナイ契約における関係性を踏まえている。そして、結婚に喩えられるような、神と信仰共同体の関係は、メシアが来臨なさることで、もっと本当に成し遂げられるという約束も脈々と流れていた。その背景からイエスはご自分を花婿に喩えられた。
 その宴席にあるのは喜びである。花婿に喩えられるイエス様が地上に来てくださった喜び。そして、ペテロや中風の男やレビのような人々の人生が変えられた喜び。私たちクリスチャンはその喜びに連なる。
 イエスに、新しい霊的ないのちを頂いた人々は新しい葡萄酒に喩えられる。古い革袋は柔軟性を失い硬直しているが、それはファリサイ派が、「自分たちのように断食しないと真面目な信仰者ではない」というような姿勢とその体制。そこに「新しい葡萄酒」を入れれば、その生命力によって革袋は張り裂けてしまう。
 柔軟性ある新しい革袋に入れるなら保つ。19世紀イギリスでウエスレーらによるリバイバルが起こった時、国教会から離れてメソジスト教会が新たに形成されざるを得なかったのは、新しい革袋を求めてであった。
 また、歴史的は古くなっているが、内なるいのち、柔軟性を失わず、「新しい葡萄酒」を保ち得ている例もたくさんある。