喜びのクリスマス

メッセージ音声(「子ども向け+大人向け、27分)

喜びのクリスマス(12月24日)

ルカによる福音書2章1~21節

<子ども向けメッセージ部分>

皆さん。クリスマスおめでとうございます。
(おめでとうございます!)
クリスマス、ってなんの日か知っていますか?
イエスがお誕生になった、お生まれになった記念日です。

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今年も世界中で、クリスマスがお祝いされています。

世界中ですから、アメリカでもお祝いされています。
じゃあ、アメリカの言葉の英語で、クリスマスおめでとうって言ってみましょうか?
Merry Christmas

中国でもクリスマスをお祝いしています。
中国語では、
圣诞祝贺
Shèngdàn zhùhè

ドイツの人たちはどうでしょう?
どう言いますか? フォーエとか言いますか?
Frohe Weihnachten フォーエ ヴァイナhtn

世界中のどの国でも、クリスマスをお祝いする人が誰もいない国はどこにもありません。

こんなに世界中でみんなからお誕生をお祝いしてもらってる
イエス様ってすごい!

イエス様はすごいから、みんなが良く知っているし、お祝いしているんですね。

でもイエスさまは、自分は偉いんだぞ、とえばってふんぞり返っているお方ではありません。

私は偉くて有名人だけど、あなたなんて小さな人だし、有名でもないし、大したことないし、あなたのことなんか知らない、関係ないと仰るお方ではありません。

イエス様は、逆に、私たちのことをよく知っていて、大好きだよと言って下さるお方です。
私たちのお友達になりたいと思っていて下さるお方です。

「イエス様、助けて下さい」「イエス様のお名前によってお祈りします」と祈るときに、助けて下さる方です。

先生が大学生の時、久保田先生と言って、大学の名誉教授、っていって、おじいちゃんの、とってもアタマのいい先生がおられたんですが(その先生は地質学が専門だったのですが)、イエス様を信じているクリチャンで、
大学生の私とお話ししてて、こんなことをおっしゃったのを今でもよく覚えています。

「私は家で、めがねをなくしちゃってね。それでイエス様に、『私の大事な眼鏡が見つかりません。どうか、どこにあるか見つけさせて下さい』ってお祈りしたんだよ。そうしたら見つけさせて下さったんだ!」。久保田先生はとっても嬉しそうにおっしゃっていました。

どうか皆さんも、困った時にイエス様!とお祈りして見てください。

そしてイエス様は、私たちの身代わりになって、十字架にかかって下さり、私たちのわがままや自分勝手や、悪いことをしてしまう罪を赦して下さり、お母さんがだっこしてくれたときのように、こころを安心に、大丈夫だよ、というこころにして下さる方です。

世界中の、いろんな人が、イエス様にお祈りして、嬉しい心にしてもらいました。
だからイエス様のお誕生を祝うクリスマスは、世界中でお祝いされているのです。

もういちどクリスマスおめでとうございます!

<聖書朗読、賛美歌の後>
<大人向き>

改めてクリスマスおめでとうございます!
教会にお出で頂いて、本当にありがとうございます。心から皆さまを歓迎致します。

年末の師走の時期ではありますが、こうして教会においでになって、心のうるおいを大切になさる時を持っておられるのは素晴らしいことだなぁと思います。

さて、師走と言いますと大掃除の時期ですが、
大掃除の時なんかに、畳の下に敷いてあった古新聞が出てきたりしてついつい、ああ、10年前はこんなことがあったのかぁと読みふけってしまったという経験はないでしょうか?

また、自分が生まれた日の新聞が出てきたらどうでしょう。わたしの場合、50年以上前の新聞ですね。「へえ、春の選抜野球で作新学院高校が初優勝したのか」とか、もう、目を皿のようにして読んでしまうかも知れません。

さて、賛美歌を歌う前に、Yさんにさっき、お読み頂いた記事は、10年や50年どころではない、2000年前に書かれた記事を、お読み頂いたわけです。

それも、先ほど子どもたちへのお話しで申し上げたように、この同じ記事が、今、世界中で読まれているわけです。
(お手元に、Yさんが読んでくれた聖書の箇所の途中からコピーしたものをお持ちと思いますので、)ちょっと一緒に声を合わせて読んで見たいと思います。
もちろん黙っていても結構ですので、ご自由になさってください(^^)

それでは小さな数字で8、8節というのですが、その8節から11節まで、ゆっくりと一緒にお読みしてみましょう。「その地方で」というところからですね。

8-11
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

10節に書いてありました。
天使は言った。「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる!」

民全体というのは、全世界のすべての国の人々、全ての民族、all the peopleという意味です。
全世界の人々に大きな喜びが与えられる!と、宣言されているのです。

削除===1節の方には、全領土と書かれてあるのですが、それは、当時のローマ帝国の勢力範囲の全てという意味です。8節の民全体は、元の言葉で、それと全く違う単語が使われています。今日21世紀の意味で、「全世界の人々」と取って差し支えのない言葉です。==削除

この記事が載っている聖書という本は、英語ですとか中国語ですとか、世界に6000以上の言語があるなかで、いくつの言葉に翻訳されていると思いますか? 6000の中には、それこそ話す人が何万人しかいない言語もあるわけです。
実は聖書は2500以上の言語に翻訳されています。

そしてこのクリスマス、世界中の人々がそれぞれの言葉で、この、天
天使のメッセージを読んでいるわけです。

民全体(全世界の、全ての国の人々)に与えられる大きな喜びを告げる!「今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった!」

そして、それは2000年前の記事なのに、新しいメッセージとして、いま私たちの愛する日本語で、私たちの心に届けられているのです。

この記事に記されている情景を、想像してみましょう。
8節の、この地方というのは、飛行機に乗って西の方へぐんぐん飛んでいきます。そして地中海の手前、中近東・パレスチナの、(現在の)イスラエルにある、ベツレヘムという町。
その近く(近郊)の荒ら地です。そこで羊を飼っている羊飼いたちが、驚くべき事件に遭遇したわけです。

賛美歌に「♪荒野の果てに夕日は落ちて~」というのがありますが、そこで「荒野」と歌われているのがそれです。

写真集がありましたので持って来ましたが、このようにごつごつした特徴ある地形です。地質は白亜質の石灰岩なんですね。

ベツレヘム鳥瞰002

ここ(示す)が、この写真集の作られた40年ほど前のベツレヘムの町。ダビデの町とも呼ばれています。これは北から撮った写真で、その左下、すなわち町の北東に谷があって、そのこちら側が、羊飼いたちが事件に遭遇した荒ら野、だと言われています。

グーグルマップで確認してみたら、現在はこの辺も舗装道路ができ、いろんな建物が建っているようですが、
2000年前はこの写真よりももっと荒涼とした、まさに荒ら野だったわけです。

間―――

そこで羊飼いらは「夜通し羊の群れの番をしていた」(8)。

目をつぶって想像してみて下さい。
荒野に大きな太陽が沈みます。
夕焼けのなんと美しいこと!
そして間もなく、音もなく、桎梏の闇が訪れます。

もちろん2000年前に、懐中電灯も外灯もありません。
電気のある現代だって、夜になると、そして深夜になると外は真っ暗です。

私は時々、まだ日が昇り始める前に、海の見える公園に散歩に行くことがあるのですが、外灯の届かない木の陰なんかもう真っ暗です。懐中電灯を照らさないと、つまづいて転んでしまいます。

羊飼いたちはきっと焚き火をしていたことでしょう。

見上げると満点の星!!
もう、あふれるばかりの星が桎梏の闇にきらっきらと輝いています。

静かです。本当に静かです。何もかも眠っているようです。

彼らの顔を、焚き火のちろちろとした炎が赤く染めます。

それは暖を取るためでもあるし、当時は狼がパレスチナ地方には生息していたようですから、そういう危険な獣(けもの)から羊たちを守り、自分たちを守るためであったわけです。

羊飼いたちは焚き火のそばで、先祖から何百年も歌い継がれた歌を、哀愁ただようメロディーで歌ったかもしれません。
しかし過酷な労働であったのです。

羊を見守りながら、交代で仮眠して、いつも夜を過ごしていたのではないかと思います。

そこに突然、

「主の天使が近づき、主の栄光が回りを照らした!」
だから「彼らは非常に恐れた」と書いてあります。

2000年前、ヘリコプターも電照灯もありません。
彼らにとって、こんな真っ暗な夜に、見たこともない強烈な光が周囲を照らした。
どんなにびっくりしたことでしょう。強烈に記憶に残ったことでしょう。
それだけでなく、天使が自分たちの近くに立っている。

10節
「天使は言った。
恐れるな!私は民全体(全世界の国の人々、全ての民族)に与えられる大きな喜びを告げる!
今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主、メシア(救い主=キリスト)である!」

いま、私たちが、そのメッセージを日本語で聞いているということ自体、その天使が言った通りになっているということではないでしょうか。

そのメッセージの続きを聴きましょう。

12節
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

ベツレヘムの町のどこかにある、飼い葉桶。飼い葉桶は、家畜の食べる餌を入れておくところです。その中に、布にくるまれて寝ている、生まれたばかりの乳飲み子、赤ちゃん。その方が救い主であるというのです!

そして13節
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

いと高きところには栄光、神にあれ!
荒野の果てには、「♪グロ~~~~リア」、と続きますが、それはこの時の天の大軍が歌った賛美の歌をモチーフにしているのです。
イン・エックセルシス・デオ。天(複数)には栄光が神にあるように、と歌っているのです。

皆さんでちょっと歌ってみましょうか!
♪グロ~~~~リア、イン・エックセルシス・デオ
♪グロ~~~~リア、イン・エックセルシス・デオ
(1回だけでいい)

そして、

地には平和。御心にかなう人にあれ!

みこころにかなうってどういうことでしょうか?

私たちは、自分が良いことをするとか、自分の力で一生懸命努力しても、神様のみこころにかなうようにはなれません。
神様は、そのなことを私たちに望んではいないからです。

だから、自分の力だけでどんなに努力しても、自分の心の中や家庭も社会も平和にはなれません。

では、神のみこころにかなうとはどういうことでしょうか?

人生のさまざまな重荷、問題課題、苦労にぶち当たって、もうどうしたらいいんだろう、と思った時に、
「イエス様、助けてください」「イエス様のお名前によってお祈りします。天の父なる神様助けてください」と祈り求める人が、
神の御心にかなう人なのです。

そういう人たちはやがて分かるようになります。
イエス様が、神の御子として、私たちの身代わりに、十字架に掛かって死んでくださったということが。
そのことを感謝して、信じて生きている人がみこころにかなう人々です。

そして、十字架に掛かって死なれ、復活、よみがえられて、天に帰られたイエス様は今も生きておられます。
そして私たちが、困難や壁にぶつかっても、日々捧げる祈りに耳を傾けていて下さいます。

そんな、私たちのことを心配して下さり、祈りに耳を傾け、あなたにとって一番良いように導いて下さる素晴らしい救い主、メシア(キリスト)であるイエス様に、初めて出会ったのは、荒野で羊を飼っている羊飼いたちでした。

では、その知らせを聞いて、羊飼いたちはどうしたでしょうか?
ご一緒にお読みしましょう。

15節から
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

羊飼いたちは、確かに救い主にお出会いすることができました。
私たちも2000年の時を超えて、
いま、このメッセージ、グッドニュースを聞きました。

イエス様は、いまも生きていて、私たちの祈りに耳を傾けて下さいます。
そのようにしてあなたも、イエス様にお会いすることができるのです。