信ずべきを信じる幸い 復活を思う

メッセージ音声(祈り除き34分)


信ずべきを信じる幸い 復活を思う  4月22日説教
ヨハネ20:19~31
新聖歌6いざや共に/142イエス君の御名に/232弱きものよ
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 皆さんおはようございます。

 うちの庭には、父が何年か前に植えたりんごの木がありまして、先日初めて、白い可憐な花を咲かせました。
 赤いりんごというと寒い北国、というイメージだったのですが、こんな暖かな春に咲く、白い可憐なりんごの花を見て、意外で嬉しいような気持ちがしました。
 
 さて今朝は、「信ずべきを信じる幸い」という題をつけさせて頂きました。お読み頂いた中のヨハネ20:27にイエス様の言葉として、
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。
 とありますところから付けました。
 「信じる者になれ」という題をつけようかとも思いましたが、説教題が往来の見えるところに掲示されることから、いろいろ考えさせられました。

 といいますのが、昨今の世相を考えますと、「信じる」ということを迂闊にしてしまったために大変な目に遭うこともあり得るからです。
例えば「オレオレ詐欺」ですね。息子か何かをかたらって、「俺だよ母ちゃん。こうこうこういう訳でどうしても300万円ないと困るんだよ」と言われて「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と思ってはイケナイわけです。
 また、おかしなカルト教団や、あるいはカルト的になったり、なりつつある教会で、牧師やリーダーの言っていることがおかしいな、と思っても、「いや。イエス様は信じる者になりなさいと仰ったんだから」などと言うのはみことばを悪用しているわけです。

 大切なのは、何を信じるのか、誰を信じるのかがちゃんとしていて、それが大切な、信ずべきことであるならば信じる者になることは大変に幸いで、大切なことだ、ということですね。

 イエスさまが、
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。
そして29節では、
見ないのに信じる人は、幸いである。
 とまでおっしゃったのはもちろん、正にそれだけの価値がある内容の事柄についてです。

 今朝の聖書箇所は、イエス様のご復活について記しつつ、またヨハネによる福音書のほとんど終わりの箇所に当たります。
 「信じる者になりなさい」というみことばのすぐ後、31節にはこのように記されています。
31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 ヨハネによる福音書全体が書かれた目的が明確に書いてあります。この福音書を読んで信じて欲しい。それは、イエス様が神の独り子の神であられ、救い主キリスト、メシアであること。そのイエス・キリスト様を救い主と信じることによって本当のいのちを受け取って欲しいのだと。

 1月にはヨハネによる福音書の第1章から、「初めにあったもの」「いのち、光、その証人」と題してご一緒に学びました。(インターネットでもお読みなったりお聴き頂けますので関心のある方はドウゾ)
 その時、ヨハネは1章ののっけからイエス様のことを、天地創造の前から父なる神様と共におられ、天地創造を共になさった子なる神でいらっしゃることをはっきりと記している。そのことを学びました。
 しかしその時に、なぜヨハネにはそのことが分かったのか、という疑問を申しあげました。
 究極的には何を書くべきなのか神様が教えて下さった、ということです。しかしそれは、ヨハネは、長い人生の全ての経験を通して、福音書に記すようになることを学ばせられた、そのようにして神様に教えて頂いたということなのではないでしょうか。

 ヨハネによる福音書の著者は、十二使徒のひとりヨハネであると伝統的に言われています。あるいはヨハネが話して、誰かが口述筆記したり構成したのかもしれません。書かれたのは1世紀の終わり、紀元90年頃と言われます。(ヨハネから取材して、ヨハネの責任の下に、使徒ではないがイエスの弟子であった無名の人物が執筆した、という説などもある。その説は、漁師出身の使徒ヨハネに、こんな名文が書けたのか。また、ヨハネはガリラヤの出身なのにエルサレム近辺のことばかり多く描いているといったことを論の出発点に置いている。耳を傾けるべき見解であるが、私は使徒ヨハネ本人が書いた。また本人が語ったことを誰かが書き取った、という理解でしっくり来る)

 そして、著者の使徒ヨハネは、ヨハネによる福音書の中に、自分のことを匿名で、名前を秘して登場させています。

 まずヨハネ1:40。イエス様との出会いを描いています。
40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
 ちょっとややこしいですが、ここで名前が出て来るヨハネは使徒ヨハネとは全くの別人です。バプテスマのヨハネです。
使徒アンデレの方は名前が出ています。2人とも元々バプテスマのヨハネの弟子であったけれども、その師匠の言葉に従ってイエス様に従うようになった経緯がここで明かされているわけです。
 こうしてヨハネは自分の名前を隠して、自分とイエス様との出会いを描いているわけです。

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 次は13:23。
23イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
 ここに「イエスの愛しておられた者」として登場します。いわばイエスの愛(まな)弟子と自分のことを言っているわけですね。
この箇所は最後の晩餐の場面です。イエス様は、悲しいことに弟子の一人が御自分を裏切ろうとしていると予告されました。24節を見るとペテロがヨハネに、誰のことを指しているのかイエス様に聞いてくれと目配せか何かをしたことが記されているわけです。23節からお読みします。
23イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
43013024シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。
43013025その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と

ここまでに致します。その時にイエス様はユダのことを示唆なさったわけです。
脱線になりますので今日は詳しくお話ししませんが、この場面に居合わせなければこういう風には描くことができない描き方がされていると感じます。ディーテールに立ち入った迫真の場面が、映画の場面を静かに見るように描かれています。30節を見ると、
30ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
とあります。過越の祭の時は毎年だいたい満月であることは、当時の読者の多くが知っていること。煌々と照らされた月明かりの中へ、ユダが師に背を向けて出ていってしまったその後ろ姿を鮮明に思い浮かべながら、朗読された福音書を聞いたことでしょう。
そしてこの箇所から、ご復活の場面まで、匿名のヨハネはペテロとずっとつるんで登場してくるわけですね。そして、ペテロの言動の詳細に立ち至って見聞きしたことを記すことができたわけです。

次に匿名のヨハネが登場するのは18:15。ペテロと一緒にです。
15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、
この大祭司の屋敷の中庭で、ペテロはイエス様のことを三度否定し、裏切ってしまった。それを若いヨハネは目撃してしまったわけです。

続いて、19:26。イエス様の十字架の場面です。
25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
026イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
43019027それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

ここには女性の弟子たちの名前ばかりが出て、男の弟子は登場しません。唯一登場するのは、匿名の「愛する弟子」だけです。ほかの男性の弟子は逃げてしまったのでしょうか? 他の男弟子たちは、十字架で政治犯として死刑にされるイエスの共犯者として捕まってしまうことを避けて、イエス様と会話ができるほど近くに出てくることができなかったのだと思います。
しかしヨハネは歳が若く、女たちと一緒にいても、彼女らのうち誰かの子どもに見られて、紛れ込むことができたのでしょう。ヨハネは、使徒たちのなかで若かった、若かった、という説があるのですが、そのことがここでも裏付けられていると考えられているのです。
それが当たっているとすれば、ヨハネは当時、ティーンエイジャー、いまの中学生やや高校生くらいであったのでしょう。
そしてそういう年代の人間が、最初、バプテスマのヨハネに魅力を感じて、その弟子としてくっついていたのは十分あり得るところです。当時は中学校も高校もなかったのですから!

そして使徒ヨハネが、当時ティーンエイジャーだった自分を匿名で登場させているのが20章。イエス様の復活後の場面です。それでは1節から一緒にお読みしてみましょう。
01週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
43020002そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

ここにも「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」がペテロとセットで登場しているわけです。続きをご一緒に読みましょう。

43020003そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
43020004二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
43020005身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。

はい。ヨハネの方が若い。ティーンエイジャーですから、年輩のペテロより走るのが速く、先に墓についてしまったのでしょう。しかし、年配者、兄貴分のペテロに遠慮して、先にずかずかと墓になっている洞窟に入ることをしなかったのでしょう。あるいは一人で墓に入るのは怖かったのかも知れません。
しかし墓をのぞき込んで、そこに亜麻布が置いてあることは確認したんですね。やっぱりその現場にいて、自分が体験して、それを思い出すのでなければそうはならない内容であり、描写であると思います。

43020006続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
兄貴分のペテロさんは、黙って、ずん、と先に墓に入ったのでしょう。なにか、ペテロの性格やら、ヨハネとの関係性が伝わってくるような感じさえ致します。

43020007イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
43020008それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

はい。8節に見て信じた、と記されています。何を信じたというのでしょうか? また誰が信じたのでしょうか。それは9節から記されていますね。お読みしましょう。

43020009イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
43020010それから、この弟子たちは家に帰って行った。

 ここまでに致します。イエス様はこれまでに、ご自分が必ず死者の中から復活するということを、何回も予告しておられたのです。それは旧約聖書のみことばを通して語っておられたのですね。そのことは以前、一緒にお学びした通りです。しかし、そのことを2人の弟子は理解していなかった。そのことをヨハネによる福音書は、そういう「聖書の言葉を」「理解していなかった」と表現しています。
 イエス様は、聖書に約束されていることなのだから、御自分の十字架と、それだけでなく復活を信じて欲しいと願われていたのです。
 そうなのだけれども、8節にあるとおり、墓の中に亜麻布と、アタマを包んでいた布きれだけが置いているのを見て、信じることができたのだと記されているわけです。
 20章は、この場面に続いてマグダラのマリアが復活のイエス様とお会いさせて頂いた記事があり、続いて19節、複数の弟子たちにイエス様がお現れになり、24節からトマスが信じるために現れて下さったことが記されています。
 
 では19節を一緒にお読みしましょう。
19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
 イエス様のご配慮を思います。ドアをどんどんやったら、怖がって隠れている弟子たちは恐怖に震えて、ドアを開けて迎えるなんてことはとてもできなかったでしょう。黙って部屋の真ん中にお出でになり、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃって下さったのです。そして、24節をお読みします。
24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
 複数の弟子たちにイエス様がお現れになった時、使徒トマスだけいなかったというのですね。それでトマスは、みんながイエス様は復活された、といって喜んでいるわけだけれども、自分は疑ってしまうわけですね。では25節から一緒にお読みしましょう。

43020025そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
43020026さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
43020027それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
43020028トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
43020029イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 私たちは、復活のイエス様に直接お会いすることができた使徒たち、弟子たちをうらやましいと思います。心底うらやましいと思います。自分だって、もしイエス様にリアルにお会いしたら、もっとイエス様のことを信じられるのに、と思うけれども、それはかないません。

 しかし思い巡らしてみると、トマスの立場、またトマスがイエス様に言われたことって、私たちに当てはまるのではないでしょうか? イエス様は願っておられます。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
見ないのに信じる人は、幸いである。

 それは、2000年前の、ヨハネによる福音書の第一読者だった人々にとっても同じ事でしょう。彼らだって、使徒たちのようにリアルにイエス様にお会いしたことがないのです。しかし、ヨハネは、
31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
 と言っているのです。

他の使徒たちが若くして殉教していった中で、ヨハネは長寿を全うしたと言われています。そして、福音書を、非常に歳を取ってから書いたと。
イエス様の十字架と復活が紀元30年頃とすると、当時ティーンエイジャーだったヨハネは、福音書を書いた90年頃は75歳くらいでしょうか。

他の3つの福音書はすでに書かれて、みんなそれを読んでおり、そのずいぶん後でトリを取るかたちで老ヨハネは福音書を書いた。
 歳を取ると、新たなことを記憶する記憶力は衰えますが、昔の出来事は良く覚えています。
 さっきのトマスとイエス様のやり取りにしてもヨハネは、映画の画面を見るように何回も、大事なことが折に触れて、繰り返し繰り返し思い出される状態だったのではないでしょうか。そして、自分の人生経験が深まるにつれて、イエスさまがあの時あのようにおっしゃった、あのようになさった、その意味が深く深く分かっていったのではないでしょうか?

 そして、いろんな弟子仲間のことを懐かしく思い出したでしょう。例えばパウロのことにしたってそうです。パウロは、先輩である自分たちよりも後から、鮮烈なデビューを果たして同僚となり、その話すことや書くことが、どれだけイエス様について深く理解する助けとなったことでしょうか! それなのにパウロはうんと若くして、殉教してこの世を去ってしまった。その知らせをきいたときどんなに衝撃を受けたでしょうか? パウロが先輩になってしまったな、と思ったかも知れません。パウロのことを思い出せば、寂しいような愛おしいような思いがこみ上げてきたでしょう。
 ヨハネはそんなパウロのことを、また兄貴分のペテロのことや実の兄ヤコブのこと、アンデレや他の弟子仲間のこと、そして何よりも、自分たちの中心におられたイエス様のことを懐かしく思い返しながら、彼らの生きざま、死に様全てを通して、彼らの語ったこと全てを通して、「初めに言葉があった」で始まる福音書を書くことができたのでしょう。

 神様は、そういう晩年のヨハネをお用いになったのです。
 神様が、そのようにヨハネの生涯の全ての体験を通してヨハネに教えて下さったことを、ヨハネは聖霊の導きによって福音書として書いた。私たちがイエス様を救い主として信じて救われるために!
 私たちは、この信じるべきまことの福音、すばらしい知らせを信じて幸いな生涯を送らせて頂きましょう。