初代教会 疑似体験 日本の教会を思う

祈り除き36分30秒


ガラテヤ1:18~2:10

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 ペンテコステ(五旬節)を越えて、蒸すような日もある今日この頃いかがお過ごしでしょうか?

 さて、今朝はたいへんなタイトルをつけてしましました。
 私の申しあげたい趣旨は、こういうことです。
 つまり、日本でクリスチャンとして生きていると、初代教会のある一面が、自分たちの体験と重ね合わせて良く分かる。そのことに気が付いて、今日の私たちへの励ましを受けたいと考えているわけです。

 日本の今日のキリスト教と、初代教会とどこが似ているか? それはずばり!人数が少ない、「少数派である」ということから来ています。
 初代教会は、中東のパレスチナで発生しました。この地図でいうとここですね(聖書歴史地図P170でパレスチナの場所を示す)。そしてイエス様のご復活とご昇天の後、ローマ帝国内外に広がって行きました(広がっていく様を地図の上で指で示す)。

 紀元0年、すなわちイエス様がお生まれになったころのローマ帝国の人口は5600万人くらいだったそうです。いまの日本の人口の半分ですね。
その領土は大ざっぱに言って地中海をぐるりと囲んだ世界です。(地図で示しながら)ヨーロッパの南半分をすっぽり含みます。今のスペインやイギリスの南半分までがローマ帝国でした。そして、アフリカの北の海岸地帯とエジプト。東はパルティアやペルシャと境界を接するところまで広がっていました。

ローマ帝国東方西方

5600万人のそのなかでクリスチャン人口はいくらだったのでしょう? そうですね。イエス様がお生まれになる前は、0人でした。

ところが、ペンテコステがあって、キリスト教会が誕生してきました。
ペンテコステの時、イエス様を信じた人は何人だったでしょう? 使徒言行録の2:41を見ますと、
41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
とあります。それから1か月ほど後でしょうか? 使徒4:4には、男性だけで信じたものが約5000人とあります。男女合わせれば1万人以上。そうであっても、ローマ帝国人口0.02%と微々たる人数だったわけです。
そしてその当時は、信じた人々のほとんどが元もと、ユダヤ人でありすなわちユダヤ教徒だったわけです。

ユダヤ人はローマ帝国内外に多く存在しておりました。この聖書歴史地図170ページ(見せながら)に、ユダヤ人人口の多かった都市をマーキングしてくれていますが、そこからざっと計算して、500万人からのユダヤ人がローマ帝国内に住んでいたことになります。ローマ帝国の人口の10分の1ですね!

1cユダヤ人

それだけの人口が元もと、旧約聖書の、創造主なる唯一の神を信じていたわけです。
そういう背景、下地もあって、2000年前のローマ帝国ではキリスト教が爆発的に広がったのだ、ということも見落としてはいけません。日本は、そういう下地や伝統がなく、全然状況が異なるのです。ですからこれまで、少数派が長く続いていることを、過度にがっかりする必要もないと思います。

さて、使徒言行録が9章に進むと、パウロが登場します。10章で、ペテロが神様から幻を見せられて、異邦人への伝道に心が開かれました。そんななかで、ユダヤ人ではない異邦人の間でも、イエス様を救い主として信じる人々が多く起こされ、かえってそちらが主流となっていきます。
さらに使徒11:26にありますように、異邦人を中心とした信者の群に、キリスト者、すなわち、クリスチャンという名前が付けられました。英語の聖書ではChristianとなっております。では使徒11:25-26を一緒にお読みしましょう。

25それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
44011026見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

もはやクリスチャンの人数が何人とは書いてありません。数え切れなくなったというのが実態でしょう。それは、教会、クリスチャンの群が、ローマ帝国内外のあちこちにできたから、合計を数えることもできなくなったのでしょう。
こちら(聖書歴史事典P182)に1世紀~2世紀すなわち西暦199年までに成立していた「キリスト教共同体」(という名称をこの地図では使っているわけですが)の位置を十字の印でマーキングしてくれています。

1-2cキリスト共同体

一番西は今日のイギリスのここですとかスペインのここ。
南はエジプトのここ。東はここ、ローマ帝国の外にマークングがありますが、さらに解説文ではインドのことが言及されています。

さて、ガラテヤの信徒への手紙です。
これはパウロが執筆した公開書簡です。ガラテヤとはこの地域です(地図で示す)。そしてこの手紙は、複数の教会の多くの人々に読まれることを前提に書かれています。
そしてそれは実際に読まれ、先ほど説明した、広範な地域に点在する諸教会に受け入れられ広がったのです。

それが何故分かるかといえば、この手紙が新約聖書27巻の中に含まれていることから分かります。 
当時、27巻以外にも、多くの手紙が書かれたり、福音書のようなものも執筆されたのです。しかし、その全てが収録されたわけではありません。選ばれた著作だけが収録されて27巻になっているのです。
誰が選んだのでしょうか? 究極的には神様です。聖霊の導きです。そして、具体的には、津々浦々にある、いろんなカラーのクリスチャンのグループが、パウロの書いたこの手紙を、正統なもの、大切なものとして受け入れ、自分たちの後輩たちに伝えていったということです。
カラーが違うというのは、それぞれクリスチャングループができていった経緯が違い、中心人物が違い、地域性の違いがあるからですね。

紀元2世紀、すなわち西暦100年代の時点で、ローマの諸教会において、現在の27巻のうちヤコブ、ペテロ、ヘブライ人への手紙以外を除く24巻が認めらていたことが分かっています(「ムラトリ正典」より)。また4世紀、すなわち紀元300年代に、西方教会(「コチラ半分ですね」と地図で示す)ではヒッポの教会会議というところで、27巻が正典だと「確認」(追認)しています。同じ頃、東方教会でもその「確認」がされているのです(「死海写本と聖書の世界 キリスト降誕2000年「東京大聖書展」公式展示本カタログP43)。

ローマ帝国東方西方

私が言いたかったことは、パウロの書いたガラテヤの信徒への手紙は、初代の諸教会に広く受け入れられていた、ということです。自分たちが教えられた通りの、信じるべき正しいことを書いている、ということが諸教会で認められていたのです。
そうはならなかった可能性もあったのですね。
ガラテヤ信徒への手紙1:6を見ますと、
06キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。
48001007ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。
48001008しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。

とあります。8節にあるようにパウロは、「私たちがあなたがたに伝えた福音」というものがあるのだ。それに反するようなことを告げ知らせる者があるならば、呪われよ!とまで断言しているわけですね。

その「私たちが告げ知らせた福音」って何でしょう。それはガラテヤ2:15あたりから、述べられています。では2:15をご一緒にお読みしましょう。
15わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
はい。ここで私たちは生まれながらのユダヤ人といってるのは、パウロや、ペテロやヤコブやヨハネのことですね。ユダヤ人は律法を守って生きているから、律法ももっていない異邦人とは生き方のレベルが違うわけです。では16節を一緒にお読みしましょう。

16けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
はい。しかし人は、自分でどんなに正しい生き方を一生懸命やっていると思っても、神様の目から見たら義、つまり正しい者とは認められない。そうではなくって、イエス・キリストへの信仰によって義とされるのだ! だからユダヤ人の私たちだってイエス様を救い主と信じたのだ、といっているわけです。

そして、それに引き続いてパウロは手紙の中で、イエス様の十字架の死が、自分のための身代わりであることを信じ、神様の前に罪を赦して頂いて、感謝して生きることが正しい福音の教えなのだ。その「ことわり」や適応を、さまざまなかたちで書いているわけです。
3:1に
01ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。
と記されています。ガラテヤの信徒への手紙には、イエス様の十字架、十字架ということが何回も記されています。

近代になってからの神学的な主張として、パウロはイエス本人が説いたのと違う教えを説いたのだ。しかしそのおかげで、イエスを信じる者たちがユダヤ教に留まらず、キリスト教という世界宗教に発展したのだ、というような主張があります。
そこには、パウロは良くも悪くも独創的で、天才で、イエスが言ったことや、イエスから直接教えられた使徒たちを超えたこと、違うことを言ったのだ、という含みがあります。
 
しかし、実際にそうなのでしょうか? 
2章の始めに「使徒たち、パウロを受け入れる」と小見出しをつけてくれていますが、まことに適切な小見出しだと思います。イエス様が存命中からイエス様に従っていた使徒たちにとって、イエス様のご昇天の後で使徒を名乗るようになったパウロは新参者です。それどころか、パウロはクリスチャンになる前、クリスチャンらの敵であったのです。本当に信用できる男なのだろうか?と彼らは思ったのです。ガラテヤ1:13を見て下さい。
13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。

そのようにパウロは自分で書いています。初代教会が、最初の殉教者を出した時、パウロはそれに加担しました。そして、狼のようにクリスチャンたちに襲いかかって、捕まえたり、投獄したり乱暴したりしました。それが正しいことと思っていたのです。そんなパウロに、ご復活のイエス様ご自身がお現れになりました。
使徒9:1からご一緒にお読みしましょう。
01さて、サウロ(これはパウロのことですね)はなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで大祭司のところへ行き、
44009002ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
44009003ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
44009004サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
44009005「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

パウロの回心の場面です。
その後、ガラテヤ1:18にあるように
18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、
48001019ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。

というわけでパウロは回心したとはいえ、十二使徒の一人であるケファつまりペテロたちに合うまでに3年かかっています。そして2週間にわたって語り明かしたのでしょうね。それは、互いに何を信じているのか? この人間は信用できるのかを確認することを一番最初にした期間でもあったことでしょう。

そういう感覚を、クリスチャン人口の多すぎるヨーロッパやアメリカの神学者はあまりピンと来ないのかも知れません。それでパウロは殊更に違うことを言ったのだ、対立的なことを言ったのだと思い付いて、そういう説を立てたのかも知れません。
しかしそれは、日本の私から見るとナンセンスに感じられます。

ペテロやヤコブたちは、イエス様を救い主として受け入れたパウロを信用した。そして、パウロの信じている信仰の中身、信じ方についても信用というか、同じ信仰であることを確認した。そして3年間の生きざまを承認したわけです。
その出来事のずっと後に、パウロはガラテヤの信徒への手紙を書いて、ある種類の人々を諫めています。それは1章にありますが、根本的に間違ったことを主張する人々が出てきたことを諫めたんですね。すなわち、イエス様の十字架による購いを「信じる」だけでは足りない。律法の行いを「行わ」ないと救われない。具体的には割礼を受けて、ユダヤ人と同じライフスタイルにならないと救われず、クリスチャンになることができない、と主張する人々が出てきたのでしたね。

パウロはそれに否と言いました。そして、2:11にあるように、ペテロまでがその説になびいてしまったことを、皆の前で面罵しました。2:14後半に
「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
とある通りです。そして、このパウロの諫めは受け入れられた。そして、初代の諸教会も、「パウロの言っていることは全うだ」という結論を持ったのです。ですからガラテヤ人への手紙は新約聖書27巻に収蔵されているのです。

そういう、イエス様の十字架の購いを信じることによって救われる、という信仰の根幹を、日本のクリスチャンはお互いに良く分かっていると思います。
それは、教派を超えて、さらに、プロテスタントやカトリック、オーソドックスチャーチという垣根さえ越えて、そういう信仰を共有している人々が、全国津々浦々に散らばって存在していることが確認できるのが、日本の教会です。
それは、日本ではクリスチャンが少数派だから、少数派ならではのことなのではないかと私は思っています。
なぜって、クリスチャン「だから」就職に有利とか、出世できるとか、この世的に得することはないにも関わらずクリスチャンになっているのです。
それはなぜですか? イエス様の十字架による救いに感謝しているからです。十字架にかかってまで私のことを愛して、救ってくださったイエス様を愛しているからです。
福音派の私たちの場合、「イエス様に救われた」ことを表に出して証しする習いがありますが、一方、もっと古い流れを汲む教会では、そういうことをあまり言挙げしないで心に秘めている。しかし、生き方の大事な芯に部分にイエス様の十字架の購いへの信仰や感謝を持てらっしゃる方々が多くおられます。そのことは長くコミュニケーションすればするほど、言葉の端々から、「ああ、この方はこんなにイエス様を愛し、感謝してらっしゃるんだなぁ」と分かって来てしまうのです。
そういうことが多く起こるのが日本の教会です。

ガラテヤ2:9を一緒に読んで見ましょう。
ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。
そうです。ヤコブもペテロもヨハネも、パウロのことをお互いにクリスチャンの仲間だと思い、同労者と認め受け入れ合い、住んでいる場所や立場は異なっても協力して、福音のために働いたのです。

そういう感覚を、アメリカや韓国の多数派であるクリスチャンよりは、クリスチャン人口0.8%の日本のクリスチャンはリアルに分かると思います。
だって、こんなに人数が少ないのだから、教派を超えて地域を超えて、お互いに顔を知っている。あるいは、イエス様を信じているものとして気心が知れて、すぐ親しくなれるのです。
私の母方の親戚が、戦前のこと、岡山県の落合というところに住んでおりました。その親戚と同じ村に住むクリスチャンが家族から迫害を受け、聖書を焼かれてしまった。ところがそれを気の毒に思った人が見ず知らずのクリスチャンが、新しい聖書を匿名で送って上げた、という話を私は聞いたのです。
その話を聞いてから何年か後、私は家内と結婚して、それから聞いた話なのですが、その聖書を焼かれた人と、送って上げて人はなんと、家内のひいおじいさんとひいおばあさんであったというのです! ビンゴ!です。そういうことって、日本の教会の津々浦々で聞くことができる物語だと思います。私たちはその物語のただ中に生きているのです

私の母方の親戚は多くクリスチャンがおります。すでに世を去った者も多くおりますが、その所属する群と言うことで言えばバラバラです。無教会派(内村鑑三の弟子ですね)、そして戦前の組合教会、戦後は日本バプテスト連盟。戦前はきよめ教会だったのが戦後、引っ越しして近畿福音ルーテル教会に移って長く過ごした者もいます。さらにブレザレンの群である同信会・・・などとさまざまです。
家内の方の親戚も、活水の群、日本基督教団、福音自由教会、基督改革派教会、カリスマ派の方とさまざまです。しかし、イエス様を救い主として信じている、という点では、さまざまな個性的なキャラを持った親戚たちが驚くほど一致しています。

また、私はKGKやクリスチャン新聞記者という立場を通して、また昨今はフェイスブックでの交わりを通し、狭い意味の福音派の枠をも超えて、日本基督教団のメインラインの方や、カリスマ・ペンテコステ派の方、カトリックやオーソドックスチャーチの方々と語り合う経験をしてきました。
その時に「やっぱりこの人はイエス様を信じている。そしてイエス様を深く愛している」ということが付き合えば付き合うほど分かるのです。それが、日本の教会です。

そして、私自身が、教会の枠を超えて、ここでこうして礼拝のメッセージを語らせて頂き皆さまにアーメン、その通りと言って頂いています。
初代教会ではパウロが語ってもペテロが語っても、ヨハネが語っても、「この人はちゃんとしたことを言っている」ということが分かった。変なことを言えば、それも分かってしまう。鼻が鋭いのです。少数派で苦労しているのですから、根本的に変なものに易々と騙されることなどありません。
十字架に掛かってご自分のいのちを与えて下さったイエス様への感謝から外れることはありません。
私たちは、人数は少ないながら、そういう信仰の一番大切なところがよく分かる人々が集まって、全国津々浦々でイエス様を信じ、愛し、祈って生きている日本のキリスト者の群の中にいることを思い起こして、心を温められ、主からの励ましを受けることです。
お祈り致しましょう。

新聖歌27来る朝ごとに/260わが胸に響く歌あり/143いとも尊き