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信じてみなはれ――ナアマンの物語から

[power press]列王記下5:1~14 新聖歌2/42/275

 今朝は「信じてみなはれ」というメッセージの題をつけました。信じてみなさいよ、ということですね。
 しかし、イワシの頭も信心というように、とにかく何でも信じれば良い、という意味ではありません。
 何を信じるのか、誰を信じるのか、ということが大切です。私たちは、聖書によってご自分を知らされた神様。すなわち、天地宇宙をお造りになったまことの神様を知らされ、あるいは信じ、また、イエス・キリスト様が十字架にかかって、私たちのために救いの道を成し遂げて下さったを、信じさせて頂けることは、非常に有り難いことであり、尊いことだと思います。
ナアマントリミング
 さて、お読みした旧約聖書の列王記下5章ですが、「ナアマン将軍のお話し」として良く知られているところです。
 それでは、列王記下5:1~5を一緒にお読みしましょう。
01アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。
12005002アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。
12005003少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」
12005004ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、
12005005アラムの王は言った。「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。

物語の舞台は、紀元前850年頃です。
9月、10月に、同じく旧約聖書のネヘミヤ記からお話ししましたが、それは、ナアマンのお話しよりずっと後の出来事になります。ネヘミヤたちの活躍は、イスラエルの民がバビロン捕囚の憂き目に遭い、そのあとペルシャ王の命令によって、生まれ故郷に帰った。その後のことでした。
今回ナアマンの話は、バビロン捕囚が起こるよりも前の出来事です。バビロン捕囚が起こる100年とか200年前の話でして、南のユダ王国だけでなく、まだ北のイスラエル王国も存続していた時代です。

 1節に出たアラムというのはまたの名をシリアと言いまして、こんにちイスラエル領の北側で、国連による兵力引き離し地帯を挟んで国境線を接するシリアということになります。
現在のシリアと言えば、そうですね。フリージャーナリストの安田純平さんが3年前、シリアで武装組織に拘束され行方を断ち、先月10月末、解放されて日本に帰ってきたばかりです。

さて紀元前850年頃のアラム王国の軍司令官(新改訳聖書では「将軍」)としてナアマンという人物は紹介されています。1節を見ると、ナアマンはアラムの王様に「重んじられ気に入られていた」(新改訳では「重んじられ尊敬されていた」と記されています)そういう人物であることが分かります。その理由は「主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである」とありますから、実力派の人物であったのだなと思います。

そして王に重んじられ、尊敬されていたわけですから、もう言うことなしの人物だと思います。
地位も名誉もまた収入も十分にあったのではないでしょうか。きっと、人柄も良く人望があったのではないか、といつも聖書のこの箇所を読んで感じます。

しかし、ナアマンには悩みがありました。2節に
この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。
と記されている通りです。

将軍として立派な鎧兜、装束、着ているものの下に、その重い皮膚病は隠されていたのでしょう。5章を読み進めていくと、ナアマンがその病いのことでどんなに思い悩んでいたかが分かります。

世間的には何の不足もない、満たされていると思っている人だって、実は深刻な悩みを抱えているかも知れない。そういう、21世紀の私たちにも通じるようなナアマンの姿だと思います。
ナアマンは、家に帰って、自宅で鎧兜を脱ぎ、将軍の服を脱いくつろぐたびに、自分の重い皮膚病を見て、それが治らないことを確認するたびに締め付けられるような思いをしていたのではないでしょうか。
いくら地位があり名誉がありお金があり、人望があってさえも、それがその悩みを打ち消すものにはならないのです。

実は新約聖書でイエス様が、このナアマンのことについて触れています。ルカによる福音書4:27を見てみましょう。
27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。

シリア人ナアマンと書かれていましたね。
ルカ4章のこの箇所は、2年前の10月9日の礼拝で「報復が放棄された日――遠回りだが王道の救い」と題してお話ししたところです。イエス様が公の宣教を始めるに当たって、故郷ナザレの会堂で、メッセージを語った後論争となり、その中でイエス様が旧約聖書からナアマンのことを引用なさったのです。

イエス様は、故郷ガリラヤにおいて、イスラエル民族、ユダヤの民を、憎きローマ帝国、憎き異邦人の支配から解放する期待の星と思われて登場しました。ところが、その初めての説教でイエス様は、ローマ帝国とか異邦人に対する憎しみとか、復讐とかそういうことはおっしゃいませんでした。むしろ、ご自分が救い主としてお出でになったということは、そういう憎しみとか復讐は「終わり」なのだ、もう「ない」のだ、ということをおっしゃったのでした。

そのイエス様が引用なさったナアマンの物語です。
イエス様は、ユダヤ人だけの救世主としてだけおいでになったのではない。また、直接的な政治的解放のリーダーとしておいでになったのではない。そうではなくユダヤ人と敵対関係にある異邦人のためにも、救い主として、まことの「こころの王」としておいでになったことをおっしゃったわけです。
そして、それから2000年後の、遠い極東に生まれた異邦人の私たちも、イエス様の救いを知らされているのです。
ですから私たちはナアマンの物語を、21世紀の私たち、今日の問題で悩む私たちへのメッセージとして聞くことができるわけです。

ナアマンは、外面的には幸せに見える人でした。しかし人には見えないような部分で深刻な悩みを抱えていた。それは私たちにとって、自分にはどうすることもできない心の奥底の問題ということであるかもしれません。
外から、他の人には決して分からない心の問題。人に話すことなどできない問題。イエス様だけが、そこに触れて癒してくださるお方であることを私たちはナアマンの物語を通して知らされるわけです。

さて、ナアマンには、深刻な悩みの中にも、その解決のヒントをもたらしてくれる人がおりました。
列王記下5章に戻りまして2-3節。お読みします。
02アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。
03少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」

実は列王記に記されている時代、アラムの国とイスラエルは何回も闘いを繰り返しておりました。友好関係にあった時期はわずかだったのです。
そして2節に出てくる「少女」は、その戦いの際に、イスラエルからアラムの国に捕虜として連れ去られ、ナアマンの家の召使いとなっていたという人物なのです。
昔々は、そういう数奇な人生も、人々は当たり前のように受け容れていたのでしょうか? この名前も分からない少女はしかし、天地を作られたまことの神様を知り、その神に祈りを捧げ、賛美と感謝を捧げる日々を異国の地で送っていたのでしょうか?
そして、主人である、王から尊敬を受けているような大将軍ナアマンに、その少女がアドバイスをしたわけです。
「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」

サマリアの預言者というのは、天地を作られたまことの神のみこころを伝える預言者です。その預言者の名はエリシャです。この情報は、大変貴重な、また本当に役に立つ情報でした。そして、この情報がもたらされたこと、そしてその結果を、2850年後の私たちが日本語で聞いているという不思議な話です。

この少女のことをちょっと考えて見ましょう。自分の国に戦争をしかけて、自分を捕虜にして異境の地に連れてきて、召使いとして使っている憎きアラム人のはずです。しかし彼女はナアマンに、とっておきのグッドニュースを教えて上げた。グッドニュースを知っていると黙っておられないというのはそういうことです。

そのように考えると、この2、3節はたいへんな迫力を以て、時空を超えて、私たちにまことの神を信じる信仰の力強さ、可能性というものを伝えてくれる思いがします。
聖書に名前が残る人物に、女性ではエステルやルツがいるわけですが、この無名の少女も大変な役割を担ったわけです。彼女の祖先の大きな人物であるヨセフも、かつてエジプトの地に奴隷として売られ、そのエジプトで多くの試練と屈辱を経て、神様に大きく用いられる器となったわけでした。
この少女は、そんなヨセフのような、この世での「栄達」すらなかったわけで、召使いの境遇から解放されたかすらも分からない。しかし、知らないうちに大きな神様からの役割を担っていた。私たちの人生にも、そういうことが自分にあるかも知れません。またそういう人物に出会っているかも知れません。

神様の目からご覧になれば、そういう人のそういう働きはどんなに尊い、記念せられるものでありましょうか。

さて、ナアマンは少女の助言に従ってイスラエルに出かけます。それは5節にあるように
銀10キカル(342キロ)、金6000シェケル(68キロ。人の体重と同じ重さ分の金ですよ!どんだけ~、ってすごい量です)を携え、また部下たちを引き連れて旅をしたのです。
そしてナアマンはイスラエルの王に宛てたアラム王からの手紙を携えて行きました。紹介状というわけです。その内容を見ましょう。6節7節を一緒にお読みしましょう。
06彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」

はい。次の7節に、その手紙をもらってのイスラエルの王の反応が出てきます。
007イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」
その「言いがかりをつけようとしている」という解釈は適切なものでした。なぜなら、先ほど申しあげましたように、アラムとイスラエルは何回もいくさを交えているのですから。

気になってアラムが聖書のどこに登場するのか日本語聖書を「アラム」という言葉で検索して調べてみました。そうすると創世記のずいぶん始めのころ、ノアの洪水の物語の直後の、系図の中に初めて名前が登場して来ます。
続いて、アブラハムの父親がカルデヤの地を出てハランに留まったことが創世記11:31にありますが、正にここにアラムという名前の人物がおりまして、その子孫がアラム人でありアラムの国となったというようなことになります!
その地がアラム民族の発祥の地で、イスラエルからは500キロほど北東に位置しています。アブラハムの父親の代に、そこまで約束の地に近づいていたわけです。
そしてアブラハムは、神様のみ声を聴いて、そのハランから、約束の地、カナンに移動します。

そして、創世記を読むと、アブラハムの子孫と、アラムの子孫が親戚関係を結び続けていたことがちらっちらっと顔を出します。
その代表的なのはイサクの嫁取りと、ヤコブの逃亡でしょう。イサクのために花嫁候補を探しに行った僕が行った先がアラムの地であり、またヤコブが兄の怒りを避けて逃げていき、そこで長らく暮らしたのもアラムの地です。創世記25:20に
20イサクは、リベカと結婚したとき四十歳であった。リベカは、パダン・アラムのアラム人ベトエルの娘で、アラム人ラバンの妹であった。
と書いてあるとおりです。何のことはない、イサクがリベカと結婚することで、それまでの親戚としての関係はもっと深まった。そういう関係であったわけです。

それが長い年月を経て、アブラハムの子孫の方はエジプトに移り、そこで増えたイスラエル民族は、出エジプトをしてカナンの地に戻り、そこで王国を立てました。
その間、アラム人も勢力を南に伸ばし、イスラエルに近いダマスカス(聖書の表記では「ダマスコ」ですね)を首都としていました。今でもダマスカスはシリアの首都です。

そして王国を立てたイスラエルは、神様に喜ばれない生き方、神様の言うことを聞かない生き方に流れていった。その中で神様は、神様に従わないイスラエルに目を覚まさせるためにイスラエルを攻撃するものを起こす。その中の一つの国がアラム、すなわちシリアであったことが描かれています。
そのような背景を考えながらナアマンの物語を読むと、なお興味深く感じられます。

続けて列王記下5章に戻り続きの8節を一緒に読みましょう。
12005008神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。

続けて9節、10節を読みましょう。
009ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。
12005010エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」

エリシャは自分が玄関に出て来ることさえしないで、使いの者を出して、ヨルダン川で7回身を洗えと言ったんですね。
ナアマンの反応はどうだったでしょう。11節から読みします。
011ナアマンは怒ってそこを去り(そうです。怒っちゃったんですね)、こう言った。「彼(エリシャのことです)が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。
12005012イスラエルのどの流れの水よりもダマスコ
(アラムの首都ですね)の川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。

そうなんです。せっかくここまで来ながら、ナアマンは切れてしまってエリシャの家から去ってしまった。
何故かというと、どうやって自分の問題が扱われるか、自分のイメージと大きく異なっていたからではないでしょうか。

自分をVIP扱い、重要人物扱いしないのか!ヨルダン川に行って7回身を洗いなさいだと!もっとありがたみのある、効き目のあることをエリシャが直々に出てきてやれよ!
それにナアマンはもっと難しい修行をするとか、難しい課題をクリアーすれば問題が解決すると思っていたかも知れません。それは13節で、怒って帰ろうとしているナアマンを諌めた家来たちの言葉から伺い知ることができます。
013しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」

そしてナアマンは、その助言に従います。14節。
14ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。

ナアマンはヨルダン川で体を洗いました。1回目ジャブジャブゴシゴシ、2回目ジャブジャブゴシゴシ、3回目。全然効果があるように思えません。4回目、5回目、ああ、面倒くさい、もう止めようかと思ったかどうか? しかし、そういうわけには行きません。せっかくここまで信じて、やったのですから。6回、そして7回! そうすると、
 彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり清くなった。
7は完全数としても知られます。神様のみことばへの完全な服従をナアマンはしたのです。

このナアマンという1人の悩める人が救われた物語は、今日の私たちにとって、イエス様を信じ、イエス様に助けを求めて祈り、祈りへのお答えを頂く。そうやって、問題が解決すると共に、信仰に入って行ったり、信仰が進んだりすることのひな形として記されています。
本来、まことの神と何の関係もない異邦人である私たちです。しかし、イエス・キリスト様の十字架の死が、私の罪の身代わりであったことを知らされ、信じ、罪赦されて救われている。そして父なる神の子供とされ、聖霊がこころに注がれている。
その霊的事実が、私たちがナアマンの救いの物語を、自分へのメッセージとして聞かせて頂く根拠です。

私自身は、自分の人生、また日々の生活に起こってくることは全て、父なる神さまのご許可がなければおこらなかった。だから、全てのことを感謝するという祈りの実践に関連して、このナアマンへの神様のお取り扱いを受けとめています。
自分が悪くて起こってしまったことや、自分の至らなさ、どうしようもないところ。もちろんそれを神様にお詫びします。それと共に、そのことすらも、「神様のご許可がなかったら私はそうはならなかったのだから、神様感謝します」と祈ってしまうのです。
その感謝を以て、私をもっと変えて下さいと祈ります。

そのようにして、問題を神様に丸投げしてしまうのです。
それって、非常に簡単なことです。ヨルダン川で身を洗え、という以上に簡単です。
しかし、だからこそ難しい。ナアマンがヨルダン川で身を洗えと言われてそれを拒んだのと同じように! 簡単すぎて私は長く、そういうことを拒んでいたようにおもいます。

しかし、その時にナアマンのことを心から心配する人達はこういったのでしたね。
あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。(13節)

そうです。ナアマンよやってみなさいよ、「やってみなはれ!」と言ってくれたのです。
そして祝福された人ナアマンは、疑いを抱きながらも、7回、神様からのみことばに完全に合わせてみて、ヨルダン川で身を洗ってみた。その時に、「清くなった」というような「御業」をしてくださるのは神様の側です。ナアマンには何もできません。
しかし「信じてみなはれ」と言われることがナアマンにはありました。私たちにももしそういうことがあるならば、み声に従いたいものです。