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愛なる神への叫び(6月26日礼拝メッセージ)


愛なる神への叫び(6月26日礼拝メッセージ)

詩編119編145節~152節

要旨
 信仰者の詩人は、心の(一部分ではなく)全部から神に向かって呼び求める。その切実さから時に、神に向かって叫んだり(147)、また、「答えて!」「救って!」と命令形でもの言う(145、6)ことさえ起こる。
  
 それは、親子や夫婦の間で起こることにも喩えられよう(イザヤ62:5、エレミヤ2:2)。
 ルターは、若き乙女が自分の恋い慕う婚約者に向かって叫ぶ心情になぞらえた。相手のことを信じている。必ず結婚できることも知っている。
 しかし、彼女の心は、彼のことでいっぱいで、喜びや希望と共に、恐れやら、二人の間を邪魔する“敵”によってかき回される感情をも体験するからだ。
 
 それはルター自身が、神から活かされる体験をしたことに立脚した解釈である。ルターはかつて、自分が救われたいと、あらゆる善行を行ったが、神は満足して下さると感じなかった。だから「あなた(神)の義によって私を解放して下さい」(詩編31:2)といった語の意味が全く理解できなかった。
  
 しかし聖書を紐解き続け、先人の遺産やアドバイスに耳を傾けるなか、聖霊によって目が開かれ、それは神がご自身の義を私に全く無償で与えて下さるのであって(それがキリストの十字架である)、人間はそれを感謝して受け取れば良く、そこからこそ人生の変革が起こることを悟ったのである。
 
 詩人は、愛するお方から言葉をかけて頂けさえすれば生きて行けるとさえ言う(147)。私たちももっと、そんな神との関係に生きられるチャレンジがある。